モトアザブ退屈日記

日々のモノ・コト・忘備録。クルマ、時計、オーディオとか骨董とか。

【2021年末年始の過ごし方】大移動編 ②

大移動編 ① の続き。

 

車室にクルマを収めて、出航までの間に晩ごはんをいただきます。

2021年の年末は20年の年末より人が出ていました。家族連れも多い印象です。

洋上ディナー

「さんふらわあ」は夕食も翌朝食もバイキング。

・消毒

・使い捨て手袋での取り分け

・ソーシャルディスタンス

で感染症対策もばっちりです。

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ボリューム満点、ガッツリ系のバイキングです。

年末なので、ごはんは「ちらしずし」。「年越し?そば」もありました。

 

外海へ出ても波は穏やか。機関音もほとんど感じることなく、滑るように太平洋を進んでいる感じです。大きな船特有の長い周期のローリングもなく非常に快適でした。

 

陸側の船室にするべし

フェリー旅で困るのが携帯の電波が入らないこと。海側の船室の場合は津軽海峡を出たくらいでほとんど電波が入らなくなりました。

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左舷側の船室だったのですが、大洗行き航路の場合は左舷は海側。陸側の右舷船室だと多少弱くとも携帯の電波が入ったようです。(帰りは陸側だったので多少は入りました。)

洋上サウナは快適

最近のフェリーは浴室も快適です。さんふらわあにはサウナも完備。洋上で「整う」ことでができます。

朝晩とサウナに入って「整い」ました。サウナ室にも窓があり、海が眺められるのもポイント高い。

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公室であるところのラウンジ。売店やレストランが面しているパブリックスペース。

 

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朝ごはんもバイキングです。じゅうぶんすぎるボリューム。

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朝、デッキに出てみました。仙台沖くらいでしょうか。さすがに冷たい風が容赦なく吹き付けます。

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翌日の14:00、定刻ピッタリで大洗港に接岸。

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14:20には大洗に上陸。

北関東道→常磐自動車道→首都高三郷線→首都高C1で都心まで2時間くらい。2020年末よりも高速道路も混んでいて、要所要所で渋滞がありました。

 

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【2021年末年始の過ごし方】大移動編 ①

年末年始は東京で過ごしておりました。

チェロ持参、クルマで自走しての本州上陸。

といっても、実家があるわけではなく、友人たちと年末年始を過ごすための東京行きです。

大洗行きフェリー

今年は商船三井フェリー「さんふらわあさっぽろ」で苫小牧から大洗へ。

昨年(2020年末)もフェリーで本州へ渡りましたが、その際は「東日本フェリー」での仙台行きでした。

年末の札幌市内は大雪の後。除雪が追い付いておらず、高速に乗るまでに30分以上かかりました。いざ苫小牧港へ。

苫小牧は北海道でも太平洋側のため、雪が少ない地域です。札幌を離れるにしたがって雪が減っていきます。

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出航は18時45分。16時には苫小牧港フェリーターミナルに到着したいところ。

無事に苫小牧港へ到着。普通車の列に車を停め、乗船手続きへ。

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待機列の奥に見えるフェリーは新太平洋フェリー。右側にオレンジ色の煙突が見えるのが「さんふらわあ」です。

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「大洗行き」の「さんふらわあさっぽろ」

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乗船は船尾側からでした。

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サイドブレーキを確認して、船室へ。

 

プレミアム客室

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バルコニー付き、ツインのシングル利用です。

インテリアはほぼ”三井ガーデンホテル”。

これは快適な船旅が約束された感じです。

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苫小牧港の工場夜景を眺めながら出港です。

 

続きは「大移動編②」で。

 

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デイムラーXJ40のこと

憧れのクルマのカタログ

XJ40は発売当時から“憧れのクルマ”でした。

 

英ジャガーカーズの創業者、サー・ウイリアム・ライオンズが晩年、最後にデザインを承認したジャガーです。

 

マイナーチェンジ後の1992年のカタログが手許にあります。

バブル時代だけあって、紙質も豪華。箔押しのJAGUARロゴ、中表紙は和紙調です。

 

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このカタログ、当時高校生だった自分がNAVI誌のジャガージャパンの広告を見て資料請求したものです。

当然郵送されてくるものと思っていましたが、ジャガージャパンのセールス担当が実家に持参してくださいました。

 

資料請求した本人は高校生。当時、実家に免許を持っている家族はおらず、クルマを置けるような家でもなかったのでセールスマン氏はさぞかし驚いたことでしょうが、丁寧なあいさつと共にカタログを置いて行ってくれたそうです。

 

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当時ジャガージャパンはTVCMも打っており、よく覚えています。

高級車の代名詞のメルセデスベンツSクラス。歴代のSクラスの中でも最も販売台数の多かったW126のフロントガラスに“ジャガーからのラブレター”を届けるという趣向。

ジュリーロンドンの歌声がいい雰囲気。

 

www.youtube.com

 

育ちのいいクルマ 

それから四半世紀を過ぎ、憧れのクルマがカタログから実車にステップアップ。

車齢26年のクルマとは思えないほど内外装共にきれいに保たれています。距離は相応に走っていますが、車齢を考えれば「丈夫に走っていた証」でもあります。

ディーラーの方によれば「育ちのいいクルマ」とのこと。最初のオーナーが20年ほど大切に乗り、その後の下取り車として乗っていた方はジャガージャパンのメカニックだったとのこと。

「育ちのいいクルマ」のひとことで実車を見ずに決めてしまいました。

 

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日常の足として使える”猫足”

ほぼ日常の足にガンガン使っていますが、故障らしい故障はありません。XJ40は丈夫なジャガーのようです。

北海道の冬も無事に越えることができました。FR車で心配していたのですが、重い車重とトラクションの良さで冬道も思いの外安心でした。

 

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印象的なのはやはり乗り心地です。かつて小林彰太郎や徳大寺有恒がジャガーを評した“猫足”の言葉通りのしなやかな足回り。低速での街乗りも高速でのクルージングもストレスがない、それどころか走れば走るほど癒される乗り心地。

 

 

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XJ40に乗っていて、困ることも少し。

 

最小回転半径

XJ40は全長4950mmとほぼ5mの長いクルマです。FRなのですが最小回転半径が6.5mと恐ろしく小回りが効きません。(ちなみに、例えばBMWミニの最小回転半径は5.1m)

車体も大きく、小回りもきかないので自走式で車路が対面通行の駐車場だったりすると車庫入れに気を遣います。わざわざ不便で空いている遠くの車室を利用するようになりました。

 

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燃費

直列6気筒、排気量4,000cc。

街中の平均燃費はだいたい夏場6km/l、冬は4km/l代まで落ちます。高速・長距離巡行でようやく10km/lを越えて喜びます。ハイオク指定で燃料タンクは86リットル。ギャル曽根並みの大食いです。

 

自動車税

ガソリン大食いですので、もちろんエコカー減税なんてありません。車齢も26年、減税どころか増税です。古い車を大切に乗っているのにまったく納得がいきません。これはXJ40が悪いわけではなく、制度の問題点です。

 

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この車を運転するようになってから運転操作を「急ぐ」ことをしなくなりました。クルマの立ち居振る舞いでさえジェントルにさせてくれる英国車です。

 

 

デイムラー4.0(XJ40)

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15年ぶりの自分のクルマ。

物心ついた時から叔父の『間違いだらけのクルマ選び』の初版本を読んでいたので、二玄社教というか徳大寺教であった。中学校時代はバブル景気だったので(『間違いだらけ』も年2回刊行されていた気がする)クルマ界隈がどんどん派手になっていた時期、書店で手にした雑誌、NAVIを毎月楽しみに愛読することになる。

当時はメルセデスが190E、BMWが六本木カローラと言われたE30の時代。NAVI誌でも「決闘!巌流島」という企画で190Eと320iの企画が毎回あった。

日本車では3ナンバー税制が改正され、3ナンバー専用ボディのクルマが売れた。日産シーマ、3リッタークラウン、そしてセルシオ、インフィニティQ45・・・これらの大排気量の国産大型サルーン輸入車では560SELや7シリーズが誌上をにぎわせていた。そんななか、一線を画してエレガントで典雅なサルーンジャガーのXJ40だった。

低く、長くエレガントなボディ、ウッドとコノリーレザーの仕立ての良い内装。

NAVI巻末にジャガージャパンが一面広告を載せていて、その世界感も英国の空気を感じさせる豊かなものだったと記憶している。

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BMW318i(E36)

1991年製。4気筒1,800cc、E36の初期型。前後バンパーがボディ同色ではなく、ウレタンのまま型。初FR車。トラクションコントロールも付いていなかったので、冬道では恐怖だった。6気筒の320よりもフロントが軽い分、回頭性が良くハンドリングが素直だった。グレーのモケット、表皮のイメージからは意外に堅めのクッション、イルミネーションは濃いオレンジ色。ATの不調で次の車へバトンタッチ。

アウディA4 avant 2.4クワトロ

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アウディがプレミアム路線に走りはじめたころのエントリークラス。内外装の質感が高かった。印象的だったのはV型6気筒2.4リッターエンジンのスムーズさ。加速と湧き出るトルク、高回転でのエンジン音は非常に気持ちの良いものだった。グレーの内装に革巻き3本スポークステアリング、赤に近いイルミネーション。ワゴンボディ、フルタイム4WDだったこともあり、安定感絶大なクルマだった。

アウディ80 2.0E

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CD値0.29の空力番長。ダークブルーのソリッド塗装。1988年製。ビッグマイナーチェンジ前のクリーンな顔つき。2リッターでトルクもあったけど3速AT、野太いエンジン音とアイドリングでものすごい熱を発するエンジンが古き良き“西ドイツ車”を感じさせた。

しっかり中身の詰まった上質なクロス地のシート、内装色は濃紺なのも当時の西ドイツ車の定番といった感じだった。

ビッグマイナーチェンジのきっかけとなったトランクの狭さはそれほど気にならず、その後トランク容量の増加とフェイスリフトで顔つきが不細工になって残念だった。80は初期型の方が好ましい。

ただし、3速ATは長距離が苦しかった。

ホンダ アコード(CA18)

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エンジンが“減っていた”シティが車検を通せなくなり、泣く泣く次の車探し。ディーラーの下取り車だったアコードEFエクストラを30万円で購入した。

リトラクタブルライト、低いノーズ、高いデッキ。当時のホンダ車の文法どおりのクリーンで広く、燃費良く、見晴らしの良いクルマだった。1,800cc、5速マニュアル。窓も手回し、エアコンではなくクーラー、と“オート”的なものは何一つついていなかったけれど、グレーのツイード調のざっくりとしたファブリック、低グレードでも前後ダブルウィッシュボーンサスペンションの乗り心地の良さは印象的だった。

ホンダ シティR

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初免許・初所有車。

FF,四隅に小径タイヤ、背の高い2ボックス。Man Maximum, Machine Minimum.のホンダ思想が遺憾なく発揮され商業的にも成功を収めた、トールボーイの始祖。

大学オーケストラのチェロの先輩が乗っていたものを名義変更+10万円でゆずりうけました。その時ですでに10キロオーバーだったような。

4速MT、赤いカムカバーの“COMBAX”エンジン、1.2リッター。エンジンがかなりすり減った個体で、末期はカーブのたびにエンスト。交差点で惰性からエンジンスタートしてたのはいい思い出。エンジンオイル燃やしながら走っていた。

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鉄板むき出しの内装は広々としていて、室内高の高さもあって4人乗っても狭さは感じなかった。何より軽くてダイレクト感のある操縦感覚、めいっぱい回しても速くないけど、走っているだけで楽しいクルマだった。COMBAXエンジンが吐き出す青っぽい、濃い排気ガスの香りは今でも思い出す時がある。